D・H・ローレンス著『チャタレイ夫人の恋人』~ 猥褻性の意味の認識
N・Sさん...
動画サイト★★★のほうで、
映画『チャタレイ夫人の恋人』を見つけました。
◎ チャタレイ事件
この『チャタレイ夫人の恋人』は、
これまでに数度、映画・ドラマ化されております。
原作本がイギリスで発表されたのは、1928年です。
文字で書かれているにすぎないその本が
「ワイセツ」だということで、
イギリスで刑事裁判に発展しました。
日本でも、戦後の1950年(昭和25年)に
伊藤整が翻訳本を出すと、やはり
「わいせつ文書」だということで、
刑事裁判に発展しました。
『チャタレイ夫人の恋人』をめぐる事件は、
「チャタレイ事件」と呼ばれておりまして、
多くの人が知っているところです。
◎ 猥褻概念の相対性
現代に生きる我々日本人は、
ワイセツというものについて、
かなり鈍感になってきておりますね?
私もかつて、どんなにワイセツなのだろう?
と気になり(笑)、
伊藤整訳の『チャタレイ夫人の恋人』を
読みましたが、大した内容ではなく、
かなりガッカリした記憶がありますw。
映画やテレビドラマ版も見ましたが、
本当に大したことなかったですww。
ワイセツというものは、時代や社会によって
変化していく「相対的」な概念である
と言われております。
この『チャタレイ夫人の恋人』を読むなり、
見るなりすることで、ワイセツという概念が
時代や社会とともに変化し続けることを
実感することができます。そういう意味で、
”人生で絶対に読んでおくべき本100”
”人生で絶対に観ておくべき映画100”
に入ってくるのです。
今回見つけた映画『チャタレイ夫人の恋人』は、
比較的最近リメイクされたもので、
もしかしたら、現代の我々にとっても、
けっこうワイセツかも(笑)。
◎ 猥褻性の意味の認識
犯罪が成立するためには、
犯罪を実行した行為者の内心に
「故意」がなければならないのですが、
その故意があったかどうかについては、
非常に難しい問題があります。
ここに「故意」とは、一般には
犯罪事実の認識・認容のことを意味する
と考えられております。
とりわけ対象物が「猥褻」というような
相対的なものだと、その猥褻性について
行為者に認識・認容があったかどうかを
裁判所が判断するのは非常に難しいです。
猥褻性の意味を認識していないと、
その行為者に故意責任を問えないです。
果たしてどういう認識があれば、
犯罪が成立するのか・・・??
N・Sさんもぜひ今回の映画を観るなり
本を読むなりして、考えてみてください。