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日本映画『伊豆の踊子』(1963年)~ ノーベル文学賞作品を観る

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 N・Sさん... 日活映画『伊豆の踊子』(1963年)を観終わりました。 N・Sさんは、この映画を観てから伊豆方面へ 旅行をしたほうが面白い旅をすることができるはずです。 ◎ あらすじ ◇ 東大講義シーン 映画冒頭の東大における講義シーンは、 原作本にはないですねぇ~。 今回の映画制作者(脚本家)が起案したものです。 この物語の主人公の青年(高橋英樹)は、 40年後には東大で西洋哲学を教える教授(宇野重吉)に なっているという想定ですね。 ◇ 喫煙シーン 伊豆の山道を歩いている学生服姿の青年が 煙草を吸っています。「高等学校の学生だ」 というナレーションが流れます。 この高等学校というのは旧制高校のことです。 今でいうところの大学2年生くらい、 つまり20歳くらいです。 だから煙草を吸っているのです。 不良学生だという意味ではないです。 川端康成は1899年生まれなので、 この『伊豆の踊子』の物語は1920年頃、つまり 大正時代を時代背景としていると推定されます。 ◇ 村入口の看板:重要な小道具  茶屋のある村の入口のところに 「物乞い、旅芸人、村に入るべからず」 の看板が立っています。 旅芸人というのは、非常に不安定な職業であり、 最下層の身分の人たちだったのです。 てか・・・、この時代に、そんな差別意識が あったということが窺われます。 ◇ 茶屋シーン 茶屋の女主人が、その青年(学生)のことを 「旦那様」と呼んでいます。 あの学生服と学生帽を見れば、 超エリート青年であることが容易にわかり、 それは貴族階級に属していることを伺わせます。 近い将来、権力層に達して、自分たち庶民へ 号令(命令)を下すことなるであろう青年です。 だから、年下の若い男に敬語を使っているのです。 現代における大学はお金さえ払えば 誰でも行ける場所になりましたが、 当時の高校(旧制高校)には 国民の3~5%しか入れず、 末端の庶民たちには絶対に手の届かない 敷居の高い場所だったのです。 その雰囲気が伝わってくると思います。 ◇ 天城トンネル 天城トンネルが映っていますね。 あれは1907年に開通したトンネルで、 あの青年はわりと新しいトンネルを 抜けたことになります。 映画映像には古いトンネルが映っていますが、 そんなはずありません(笑)w。 天城峠は、北条政子が源頼朝...

日本映画『樺太1945年夏 氷雪の門』(1974年)~ ソ連軍の占守島侵攻を描いた幻の映画

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 [N・Sさんwrote:] 映画「トラトラトラ」を見ました。 この様な映画を見ると、 もし戦争が無かったら、もし勝っていたら 千島列島と樺太の半分は日本の領土だったと 思います。 N・Sさん... N・Sさんが樺太や千島のことに拘るので(笑)w、 その方面の映画やドラマは何かないか と探してみました。 そしたら”幻の映画”と言われている映画が 出てきましたよ。 ソ連の圧力があり、国際問題に発展するのを怖れて 普通には上映公開できなかった問題作です。 眠らせておくのはモッタイナイということなのか、 いま YouTube で誰でも観れる状態です。 『樺太1945年夏 氷雪の門』 (1974年)です。 内容で勝負しようとして作られた映画のようで 有名俳優はあまり出ておりません。 「あらすじ」を Wiki で読んでみましたが・・・、 沖縄戦 の樺太版という感じがしましたw。 史実にかなり忠実のようです。 明治初期の 会津戦争 で起こった西郷家の悲劇と よく似ています。 かつての日本人に流れていた 武士道の精神が もたらした悲劇 だと思います。 この映画の内容が正しいものだとしても 「だから樺太は日本のものだ」 という結論には至りません。 もともと樺太はロシアの領土だったわけで、 それを 日露戦争 終結時(和解条約締結時)に 日本がロシアから奪ったものだからです。 それを返却しただけです。 千島列島については、 日本の明治政府による支配を免れようとした アイヌ人 たちが最後に行きついた土地=島です。 アイヌ人たちは元々は日本列島の先住民ですが、 アイヌ人たちは日本(人)から迫害を受けて 逃げて北上していった少数民族なのです。 言葉も顔立ちも文化も異なります。 そのアイヌ人たちの土地を 「日本固有の領土」と呼ぶのは・・・、 都合が良すぎると思います。 ただし、終戦間際の昭和20年の時点では、 確かに千島列島は日本の統治下にありました。 日本によるポツダム宣言受諾後の 8月18日 、 日本軍が駐屯していた 占守島 へ ソ連軍が上陸してきました。 日本軍は武装解除せずに、ソ連軍と交戦しました。 日本人の多くは、 太平洋戦争で日本が戦っていたのは アメリカであって、 どうして終戦後に無関係のソ連が攻めてきたんだ? と疑問に思う傾向がありますが、 日本が戦っていたのはアメリカ...

日本映画『動乱』(1980年)~ 515事件・226事件とその背景

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 [N・Sさんwrote:] 「動乱」最後まで見ました。二二六事件は 名前だけ知っていただけで説明は出来ません でした。この映画を見ただけで全て解ったとは 言えませんですが何となく解りました。 N・Sさん... 私のほうも、映画『動乱』を観終わりました。 ◎ 515事件の背景 昭和7年から始まっていますね。 東北の仙台が舞台です。 東北では冷害による大飢饉が発生し、 貧しい庶民たちは、食い扶持を減らすために、 男子を軍隊へと送り出し、 そして女子を吉原へと売ったのです。 生まれて間もない赤子は埋めるなどして、 間引き(まびき)した=こっそりと殺したのです。 あの時代の日本は、貧しかったのです。 東京でも暴動が発生しておりました。 かつてN・Sさんが観た映画『男たちの大和』 の中にも遊女が出てきていたでしょ? あの遊女は、似たような背景事情を抱えていた と想像されるのです。 そういう日本の社会背景を憂いた青年将校たちが、 515事件を起こし、政府の転覆をはかりました。 「話せばわかる」⇒「問答無用」 という感じで殺された首相は、犬養毅です。 ◎ 軍法会議 軍法会議の様子も映っていました。 私は、現代アメリカの軍事法廷に関しては、 アメリカ映画『アフューグッドメン』の中で 観たことがありますが、 かつての日本の軍法会議については、 今回の映像が初めてです。 アメリカの軍事法廷は、手続的にしっかりやっており、 大学院を出た法律家資格を持つ軍人さんが 検察官と弁護士の役に分かれて、 時間をかけて裁判手続をやります。 しかし、今回の映像に映っている日本の軍法会議は、 実にお粗末ですねぇw。 あれでは、今の北朝鮮と全く同じです(笑)。 逆に言うと、今の北朝鮮は、 かつての日本と同じなんですよww。 着ているものもよく似ているじゃないですか。 西洋人があの映像を観たら、 北朝鮮の映像だと思うはずです。 処刑=銃殺刑のシーンだって、 北朝鮮関連映像とまったく同じに見えます。 なお、N・Sさんが誤解しないように 以下あえて書いておきますが・・・、 かつての大日本帝国は、天皇主権国家であり、 軍事に関しては天皇大権に属していたので、 軍隊内部で起こった事件については、 通常の司法裁判所の管轄に属しておらず、 軍法会議=軍事法廷で扱われたのです。 しかも、非公開です。 現代日本と...

日本は社会主義国 ~ 偏見を覆す悦び

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 [N・Sさんwrote:] レ・ミゼラブルの6月暴動の話を見ました。 実際にこの様な事がパリで有ったと思うと 感慨深いです。 N・Sさん... あの6月暴動は1832年に起こりましたが、 政府軍と庶民たちとの間の ”小競り合い”みたいなものだと言えます。 あのような暴動はよく起こっていたようですよ。 たまたまヴィクトル・ユーゴーがパリにいたので、 その史実が『レ・ミゼラブル』の中に記され 後世に伝えられることになったのです。 もし『レ・ミゼラブル』が執筆されなければ、 資料としては存在せず、 歴史の中に埋もれていたでしょう。 そういう意味(歴史書としての意味)でも、 『レ・ミゼラブル』は、存在価値があるのです。 ◎ 7月革命・6月暴動・2月革命 フランス(人)は、”人権”という概念を 生み出すことに大きく寄与した国(民)です。 N・Sさんも学校の歴史の授業で 「フランス革命」について教わったはずです。 1789年7月のことです( 7月革命 )。 フランス市民たちが自由・平等などの権利を求め、 ルイ王朝と激しく闘いました。 今回の6月暴動よりもはるかに大きな戦闘でした。 沢山の市民が死にました。そして フランス革命は一応成功したはずだったのです。 ところが・・・、その後、反動が起こって、 再び王政に戻っていたのです。 1832年6月に今回の 6月暴動 が起こったのです。 今回の6月暴動を鎮圧したルイ王朝は、 その後1848年まで続きました。 1848年2月にフランスで民衆蜂起がおこり、 ルイ王朝が倒れ、革命が成功しました。 これは「 2月革命 」と呼ばれております。 先の1789年の7月革命と違う点は、 7月革命で闘ったのはどちらかと言うと 資産家(ブルジョワジー)たちだったのですが、 1848年の2月革命の主体は、 プロレタリアート(労働者)たちだったという点です。 ◎ 社会主義の芽生え 1848年頃のフランスでは、社会主義の芽生えがあり、 マルクスとエンゲルスが『共産主義者宣言』 を著しております。 資本主義の論理を貫くと、 庶民(労働者)にとっては過酷な生活になるんです。 資本を持たない労働者は、 資本家(経営者)たちの奴隷になってしまうのですw。 そのことをマルクスとエンゲルスが、 『資本論』の中で書いて発表したのです。 資本主義を貫くと、一部の金持...

BBC制作ドラマ『レ・ミゼラブル』Les Misérables(2018年)~ その5 現代日本は民主主義国?

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 N・Sさん... 私のほうは、『レ・ミゼラブル』第7話を 観始めました。 パリで暴動が起こっています。 この暴動は 「6月暴動」 と呼ばれているもので、 本当に起こったことです。 1832年6月5日~6日のことです。 ◇ 民衆の歌 Do You Hear the People Sing? ◎ コレラ大流行と凶作⇒物価上昇⇒6月暴動 このドラマの中では描かれていないのですが、 1832年春、パリではコレラが大流行しており、 沢山の人(1万8千人)が亡くなっております。 ついでに天候不順で凶作だったんですねぇ。 物価が上がり庶民たちの政治的不満は爆発寸前でした。 ルイ王朝を支えるペリエという首相と、 ナポレオンの部下だったラマルク将軍の二人が コレラによって死亡しています。 ペリエ首相の葬儀は盛大だったのに対し、 ラマルク将軍の葬儀はそうじゃなかったのです。 それで、ドラマの第6話で描かれているように、 パリの市民たちがその市民葬儀を行うということで、 集まっていったんですねぇ・・・。 そして、今回の第7話で描かれている パリの6月暴動へ発展していきました。 ◎ 労働の中で生きるか、戦いの中で死ぬか 7分17秒のところに、 フランス語の文字が書かれた白布が見えます。 「戦いに命をささぐ」という字幕がついてますが、 かなりニュアンスが違いますねぇ~(笑)w。 軽薄な翻訳だと思いますよ。あの文字は、 Vivre en travaillant ou mourir en combattant   って書いてあるのです。それは、 「労働の中で生きるか、戦いの中で死ぬか」 という意味です。 王政を支える奴隷として過酷な労働を 強いられて生きるか、それとも、 共和国を作って自由・平等な世の中を実現するか、 という意味のスローガンです。 政府軍は3万、民衆のほうは3千です。 圧倒的に政府軍のほうが力が多いですね。 結局翌日の夕方に暴動は鎮圧されてしまいました。 このとき、『レ・ミゼラブル』の原作者 ヴィクトル・ユーゴーは、パリにいたのです。 暴動を行っていたわけではないですが、 民衆蜂起を支持する考えの持ち主でした。 だから『レミゼラブル』のクライマックスシーン として描いたのです。 事実を歴史として綴(つづ)ったのです。 ◎ 韓国の光州事件 先般、韓国映画『広州5...