ノーベル文学賞は当てにならない ~ 川端康成『伊豆の踊子』『雪国』
[N・Sさんwrote:]
映画「伊豆の踊子」見始めましたが
途中で寝てしまいましたので
明日もう一度、見る事にします。
N・Sさん...それはつまり・・・、
途中で眠ってしまうほどツマラナイ
ということですねぇ(笑)?
N・Sさんは正直ですねぇ~(大笑)w。
そうなんですよ・・・。
旅に出た青年が可愛い少女と出会い、
ほのかな恋心を抱いたけど、
それだけで終わった、という内容なのです。
これって・・・、まったく面白くないですねぇ~。
どうしてノーベル賞なの?
って疑問に思ってしまうでしょ?
何か深い意味があるのでは?と勘ぐって、
もう一回読んでみる(観てみる)・・・けど、
やっぱりよく判らない。
この作品が世の中に発表されたのは、
1926年(大正15年)です。そして、
川端康成がノーベル賞を受賞するのは、
1968年です。
その間に5回も映画化されております。
不平等社会に生きていた当時の日本人たちは、
この川端作品(小説や映画)を読んだり
観たりして、自由には生きれない世の中の
”無情”というものを感じ、
それを何とかしたいと願っていたはずです。
吉原(赤線)が廃止されたのは、1958年。
「年季契約」による人身売買が裏社会で
続いていたのです。
少数の労働基準監督官だけ取締りを行っている
労働基準法なんて守られず、
売春防止法を制定・施行して、
警察権力を使うことで、やっと改善されました。
政治のほうでは、1955年に
55年体制(2大政党化)が果たされ、
お隣の朝鮮半島では朝鮮戦争が始まり、
ベトナム戦争も始まり、
日本にアジア社会での中心的な役割(責任)を
果たさせようというアメリカ側資本主義陣営の
意向が強く働きました。
日本をアメリカと似たような自由・平等な
資本主義国家社会にしないといけない。
そのためにノーベル賞というモノを利用したのです。
ノーベル賞は、西側先進国への社交界デビューなのです。
太宰治は既に1948年に他界していたし、
左翼活動経歴があったので問題外。
三島由紀夫は、まだ若くて生意気だったし、
将来何をするか不安w。
井伏鱒二の『黒い雨』は、
アメリカへの批判になってしまうし、
やはり日本初のノーベル文学賞は
東大か京大から出さないといけない。
志賀直哉や武者小路実篤は
学習院高等科を出ている貴族階級出身者だし、
司馬遼太郎は、先祖が中国系の血筋
(『三国志』に出てくる)だし、
横溝正史は、あまりに庶民的過ぎて学がないし・・・、
ということで当時の日本には、川端くらいしか
穏当・無難な候補者がいなかったんですよ。
日本を西側先進国へと仲間入りさせないといけない、
という国際社会情勢が前提事実として
まず最初にあって、
それで消去法で選ばれた候補者・作品なので・・・、
だからN・Sさんが感じたように、
眠くなるようなツマラナイ作品なのです(笑)w。
私もそんなに内容のある作品だとは思えません。
川端の『雪国』も、作品の主題については
『伊豆の踊子』とほとんど同じですww。
そういう正直な感覚を得たうえで、N・Sさんは
次に映画『サウンド・オブ・ミュージック』
を観てください。
こっちの作品には、ものすご~く感動するでしょう。
観た後、ず~っといつまでも記憶に残るでしょう。
こっちの作品はどうしてノーベル賞じゃないの?
って疑問に思うことでしょう(笑)。
つまり・・・、
ノーベル文学賞受賞作家の作品だからと言っても、
必ずしも良い作品だというわけではない、
ということをN・Sさんの心で感じ取ってくださいw。
ノーベル賞というものが当てにならないものだ
ということをN・Sさん自身の五感で感じ取れれば、
今回の映画『伊豆の踊子』の視聴目的は達成です。
N・Sさんは、真実というモノにまた一歩
近づきましたね・・・。他人の評価ではなく、
自分自身の感覚で見定めることが重要です。
なお、私の感想については、別稿の
に書いてアップしておきました。
◎ 川端康成『雪国』
私のほうは、川端康成が書いた『雪国』を
もう一度読み返してみましたよ。
『雪国 -SNOW COUNTRY-』(2022年)
も観てみました。この作品は、
川端の原作の内容にわりと近いです。
が、原作には書かれていないことも
若干盛り込まれておりますので、
注意が必要ですねぇ。
結局のところ、原作を読むのが一番です。
しかし・・・、原作のほうは
やっぱりツマラナイですぅ(笑)w。
川端の日本語って綺麗じゃないですね?
三島由紀夫『潮騒』や堀辰雄『風立ちぬ』
や村上春樹の日本語のほうが美しいと感じます。
◇『雪国』の時代背景
『雪国』は1935年(昭和10年)から連作形式で
発表され、1937年(昭和12年)に創元社から
出版されました。
そして戦後の1947年(昭和22年)に
結末が書き加えられ完結しました。
昭和9年の大凶作に伴う娘の身売りなどが
背景として起こっており、社会閉塞感が漂い、
軍部が暴走し、515事件や226事件により
政党政治が崩壊し、社会が不安定でした。
知識人たちは無力感や空虚さを感じていました。
◇『雪国』の『あとがき』が重要
川端康成は、この作品の『あとがき』にて、
「駒子は存在するが、葉子は実在しない。」
「葉子は作者の空想である。」
「小説の駒子はモデルといちじるしく違うから、
実在しないと言うのが正しいのかもしれぬ。」
「島村は無論私ではない。」
と書いております。つまり、この作品『雪国』は、
まったくの妄想(フィクション)だ
ということですぅ。
寒い冬の温泉宿に長逗留すれば、
美人の芸者さんとラブラブな関係になれる
と期待していた読者や映画の視聴者、
そして日本通を自称している外人たちは皆、
ガックリするでしょうねぇ(笑)?
◇ ひたむきな愛=「美しい徒労」?
川端康成の『雪国』は、これまでに何回も
映画化されており、駒子のひたむきな愛情を
「美しい徒労」と表現して描写しております。
主人公の島村には、東京に奥さんもいるし
子供もいます。なので、現代でいえば、
出張先での浮気や不倫の話だ
ということになります。
でも・・・、『あとがき』を読めば、それは
全くの妄想話だということが判明します(笑)。
駒子が好きだと思っている(いた)のは、
別の男(=行男)です。
そしてその男には恋人(葉子)がいる。
駒子のやきもきする気持ちは、徒労ですね?
温泉宿に長逗留して作家活動中の主人公が
美人の女たち(駒子や葉子)を見て、
いいなぁ~自分のほうにも振り向いてよ
と勝手な浮気願望をつのらせてしまった。
それもまったくの徒労であった、
というのが本当のところでしょ(笑)?
今回、私のほうは、『雪国』という作品を
読み返したり、観たりしたのですが、
それも徒労になってしまいました(笑)w。
川端康成がノーベル文学賞を受賞した理由は、
先ほども書きましたが、やっぱり
当時の国際情勢を背景とした政治的な理由だ
と思いますよ・・・ww。
