アメリカ映画『市民ケーン』(1941年)~ 光陰矢の如し、少年老い易く学成り難し

 N・Sさん...


私のほうは、アメリカ映画『市民ケーン』(1941年)

を観始めました。

新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト

モデルにした伝記映画と言えます。



英国映画協会が10年ごとに選出する

オールタイム・ベストテンでは5回連続で第1位

に選ばれ、「アメリカ映画ベスト100」でも第1位

にランキングされ、1989年には

アメリカ国立フィルム登録簿に登録されました。


◎ 市民(Citizen)とは


私が今観ているアメリカ映画『市民ケーン』

の原題は、『Citizen Kane』です。

新聞社とラジオ会社を使ってアメリカ社会に

多大な影響を及ぼした主人公ケーンは、

いわば”メディア王”と言えます。

英語で表現するならば”King of Media"

とでもいうような感じです。なのに、

その伝記映画タイトルに"Citizen"という単語を

使っているのです。

どうしてだか想像がつきますか?


”市民”(Citizen)という単語は、

フランス語のcitoyen (シトワイヨン)

に由来する外来語なのです。

日本では、〇〇市民のように

”特定の行政区域に住んでいる人”

という安っぽい使い方がなされているのですが、

本来のcitoyen やCitizenは、

そういう居住区域の違いを表す単語ではなくて、

もっと特別な意味を持っているのです。

「政治や行政、社会の在り方を自分の頭で考え、

批判することができ、自らを律して行動すること

ができる人」というような意味合いです。



主人公のケーンは、まだ幼少の折に

都会で英才教育を受けて市民として生きるべく、

田舎町を出なければなりませんでした。

両親からの期待を受けての旅立ちでしたが、

両親と大切なスノーボードを残して

故郷を旅立っていくことになりました。


◎ 映画タイトルの意味


新聞やラジオを使って世の中を導くメディア王は、

つまり・・・、Citizen”のはず”なのです。

主人公のケーンは、Citizenになるために

沢山の教養を身に付けたはずだったのです。


そしてこの映画の主人公(ケーン)は、

アメリカの主要メディアを独占経営する人物

になっていきました。ところが・・・、

本来”市民”であるべきケーンは、

ジャーナリストとしての精神を忘れてしまい、

アメリカという国を自在に操る独裁者的な存在に

なったのではないかな?

タイトルに”市民”という単語が使われているのは、

”市民になりそこなった男”という

逆説的な意味合いが込められているのでは?

と私は解釈しております。

メディアを使って世論を操作して戦争を作り出す男を

”市民”とは呼べないでしょ?

この男は、フェイクニュースをでっち上げて

米西戦争を作り出したのですw。


◎ 共産主義とファシズム(ナチズム)


映画の冒頭のほうで、

主人公である新聞王ケーンのことを

「共産主義者だ」とか「ファシストだ」とか

批判している人たちが映し出されております。

先般のメールでも書きましたが、

共産主義とファシズム(ナチズム)は

極左と極右の真逆・対極の関係にあります。

ところが・・・、同じ人物を評価する際に、

この両方の単語が使われているんですねぇ~。

不思議だと思いませんか?


共産主義とファシズム(ナチズム)というのは、

実は似ている特徴をもっているのです。

目指している方向が違うだけで、その政治過程は、

全体主義的であり専制的であるという点で

よく似ているのです。

かつての大日本帝国は、ナチス・ドイツ同様に

ファシズム社会だったのですが、

臣民はお上(おかみ)の決めたことに

盲目的に追従しなければならない世の中であり、

かつてのソ連や現代の北朝鮮と

よ~く似ていたのです。

着ているものまで似ていますよ。

大日本帝国陸軍一般兵の制服と、

現在の北朝鮮の国民服は、よ~く似ておりますw。

いずれもセンスが悪いです(笑)。


つまり・・・、主人公のケーンは、

他人を専制に支配しようとするような男になった

ということです。


◎ バラのつぼみ(Rosebud)の謎解き


この映画の中で、主人公(ケーン)が

”バラのつぼみ”=Rosebud という言葉を遺して

孤独に死んでいくシーンが描かれております。


バラのつぼみ(Rosebud)とは何か?

その謎解きをしていくことになります。


上述したように、この男は、フェイクニュースを

でっち上げて米西戦争を作り出したのですw。

そういうことをするのは「市民」ではないですね?

市民になるべく教養を積んだはずなのに、

つぼみの段階までしか行かず

枯れてしまったという意味合いでは・・・?

私のほうは、そのように考えて映画の続きを

観ていきました。


映画のラストシーンで

バラのつぼみ(Rosebud)の謎解きが完了します。


◎ 光陰矢の如し、少年老い易く学成り難し


彼が死ぬ間際に気になっていたのは、

少年時代に大切にしていたスノーボードだった

んです。

そのスノーボードには、家族(両親)との

愛情ある生活の思い出が詰まっていたんです。


彼は、都会で最高の教育を受け、

そしてメディア王になり、莫大な財産を築き上げ

美人の奥さんと二度も結婚しました。

が、二度の離婚を経験し、

息子も事故でなくしてしまいました。

友たちも去っていき、

お金で動く召使(従業員)だけが残りました。

リッチでしたが、孤独でした。

市民になりそこなったし、

愛を得ることもできなかった。

最期にその悔いが残ったということでしょう。


この映画『市民ケーン』を要約するならば、

「光陰矢の如し、少年老い易く学成り難し」

ということになりますね・・・?


◎ 特撮という撮影技法


この映画は、1941年に公開された映画であり、

オーソン・ウェルズという当時25歳の

有名な男優さんが自分で監督をつとめて

制作した映画なのです。彼は、

映画作りという点に関しては素人だったのですが、

制作過程でいろいろとカメラマンに注文を出して、

より良い映像を作り出すことに成功したそうなのです。

つまり、この映画とそれ以前の映画とは、

技術的なレベルにおいて格段の進歩が見られるそうです。

”特撮”と呼ばれる撮影技術の基本形が

この映画の中で沢山使われているそうです。

後に、日本の『ウルトラマン』などで

使われるようになった撮影技術の基本が、

この映画『市民ケーン』の制作時に編み出された

ということです。




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